第68回 顔学オンラインサロン開催報告
- kaogakunlcollab
- 5月30日
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更新日:11月10日
2025年5月27日(火)
「村澤博人と化粧文化研究」
話題提供者 北山晴一氏(化粧文化研究者ネットワーク世話人代表)
今回の顔学オンラインサロンは顔学会30周年企画の第三弾として、化粧文化研究者ネットワーク代表の北山晴一先生に「村澤博人と化粧文化研究」と題し、顔学会の三恩人でもある村澤博人先生について化粧文化的見地からお話しいただきました。
「化粧は、日本でも世界でも、長い間まじめな研究や学問の対象とされることはなかった。そうした状況を変えたい、変えよう、そして変えたのが、1979年創刊の『化粧文化』(ポーラ文化研究所)の創刊であり、2005年の化粧文化研究者ネットワークの設立であった」と冒頭で北山先生は述べられました。
村澤先生がいかに化粧をめぐる状況を変え、化粧文化研究という領域を切り開いたのか。
まずは、1980年代、ポーラ文化研究所時代の村澤先生との出会いから、『化粧文化』を通しての交流、そして顔学会の設立までの日々が、知られざるエピソードと共に語られました。『化粧文化』編集長としての人脈を駆使したさまざまな企画、大坊先生も交えての私的定例研究会の開催などは、顔学会はもちろん後の化粧文化研究者ネットワーク設立への布石となったのではないでしょうか。
1992年に『美人進化論』(東京書籍のちに『顔の文化誌』と改題され講談社学術文庫へ)を出版された村澤先生は、日本人の「顔隠しの文化」と「正面顔文化」を通して化粧文化学の確立へと向かわれます。90年代の後半からは、北山先生が設置された立教大学比較文明学専攻で講座を担当され、2004年には大阪樟蔭女子大学の被服学科で化粧文化を教える職に就かれました。日本で初めての「化粧学」コースの教授として村澤先生が教鞭を執られることになったのです。
化粧文化研究者ネットワークが設立されたのは、2005年のことですが、この頃にはすでに村澤先生は病を得られていました。ようやく大学でも行われるようになった化粧文化研究を根付かせたい、後進にも研究の場を与えたいという想いから、ネットワークづくりを急がれたのではないかと思います。
以来、化粧文化研究者ネットワークは東京と大阪での定例研究会を年に4回開催し、この6月に開催される研究会で70回を迎えます。2009年に村澤先生が逝去されてからは、北山先生が代表として、村澤先生の想いを継ぎ、ネットワークをここまで引っ張ってこられました。また北山先生は、村澤先生の逝去後に、大阪樟蔭女子大学の村澤先生の講座も引き継がれ、そのご遺志を受け継いでこられました。
今、大学や大学院で化粧や化粧文化をテーマにすることは、ごく当たり前のことになっています。顔学会や化粧文化研究者ネットワークをはじめ、顔や化粧について自身の研究を発表する場もあります。村澤先生の蒔かれた種がようやく花を咲かせつつあります。
本年3月に行われた顔学会30周年の記念大会に村澤先生の姿がないことが残念でならないと北山先生はおっしゃっていましたが、本当にその通りだと思います。
改めて村澤先生に感謝するとともに化粧文化研究、そして化粧文化研究者ネットワークをますます発展させてくことを心に誓った一夜となりました。
記:米澤 泉

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