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第67回研究会「『髪をもたない女性たちの生活世界 その生きづらさと生活世界』(生活書院)の著者に聞く」




■テーマ:

「『髪をもたない女性たちの生活世界 その生きづらさと生活世界』(生活書院)の著者に聞く」

■講演者:吉村さやか氏(日本大学文理学部社会学科助手)

■日 時:2024年07月06日(土)

■会 場:(株)資生堂 汐留オフィス

■形 式:対面とオンラインのハイブリッド


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 吉村さんの研究は、一般的には「当事者研究」という分野にカテゴライズされる。しかし、以前は、どんなに大事な研究、興味深いテーマでも、研究者自身が当事者であることを公にする形で研究することがむずかしかった。当事者が書いた文章は自伝とかエッセイ、よくても「証言」とみなされ、客観性を旨とする「研究」には値しないと考えられてきたからである。ところが、世の中には「さまざま」の理由で当事者でないと研究しにくい事柄が確実に存在することがようやく理解され、近年、多くの(それも瞠目させられるような)貴重な研究が公にされるようになった。吉村さんの研究もその代表的な例の一つだと言える。


 ご著書を事前に読んでいたものの、当日、講演の冒頭がどのように始まるのか。一瞬、会場が静まったように見えた。でも、気がつくと、吉村さんはすでに本題に入っていた。「私は髪がなく、スキンヘッドで、ウィッグを着用して生活しています。医学的には重度の円形脱毛症当事者です。7歳のときに、肩ほどまで伸ばしていた髪の毛が抜け始め、発症後一年も経たないうちにすべて抜け落ちました」。しばらくの間は母親に連れられ皮膚科に通院し治療を受けていたが、効果はなく打ち切った。そして、「発症後半年でかつらの着用をはじめ、これまでのおよそ20年間、外出するときにはかならずかつらをかぶっています」。


 吉村さんのお話を、ご著書の記述と重ね合わせながら要約すると、ポイントが3つあったように思われる。

 

 ひとつは、吉村さんは、「学部の卒業論文、修士論文、そして現在に至るまでのあいだ、〈髪〉にこだわって研究を続けてきました」。にもかかわらず(つまり、「髪」の研究はできても)「髪の喪失」を研究課題として焦点化することができなかったこと。「できなかった」というのはアナクロニズムで、後からの自己検証の結果である。当時は、「かつらをかぶってメイクをすれば、〈かわいいおしゃれな女の子〉になることができ(る)」と思い込んでいた。しかし、同時に、「いいようのない〈違和〉をすっと感じ続けていました。なぜ〈違和〉を感じるのか、それを説明できないことに苛立ちを感じていました」と述懐する。ところが、ある日(博論の指導日に)、面談のなかで、自分が意識下に抑圧していた「問題の核心」を、つまり先ほどの「違和」の正体を、指導教授は「それって脱毛症っていうことでしょう」の一言で突きとめてしまった。それが、吉村さんの真の研究「髪の喪失」の始まりだった。その後ただちに、「髪をもたない女性たちの会」での聞き取りと参与観察を開始することになった。2012年のことである。


 ふたつ目の点は、「髪をもたない女性たち」に共通する生きづらさを巡る問題群の分析である。最初のストレスは、いうまでもなく「治らない」という如何ともしがたい事実に由来する。しかし、ほんとうのストレスがその次にやってくる。治らないけれどもかつらを着ければふつうに、場合によってはずっとおしゃれな生活が可能なはずであったのに、新たな、より厄介な問題に直面して困惑する。「隠しながら生活している」(パッシングというらしい)事実からくる心理的ストレスだ。他のみんなを騙している、「この状態はいつか崩壊する」、そう感じてしまう自分にどう対処したらよいのか。

 

 最後の、3つ目のポイントは、生きづらさの軽減・解消のための「対処戦略」に係る。戦略は多様である。吉村さんは、2人の当事者の例をあげて説明する。

まず、信子さんの場合。「さらす」という対処戦略をとった。日常生活ではウィッグ生活、活動の場では「さらす」生活をしている。パッシングを否定せずに、より快適なウィッグ生活を楽しむことを選択。根底には、「治すべきもの」から「治さなくてもよいもの」への意識の変化があったという。そして、「病気で髪がなくウィッグを着用している」と、〈さらっ〉と言うことのできる社会を目指して活動している。

 もうひとりの由利子さんの場合はどうか。常時スキンヘッドで生活するという戦略だった。由利子さんは、15年間の「隠す生活」の後に、「隠さない生活」へと対処戦略をシフトさせていった。妻として母としては社会に合わせ、40代では自分の好きなおしゃれとして、50代からは自分の自由な生き方を選択した、ということになろうか。だが、この変化のプロセスのもつ意味をよくよく考えることが重要だと吉村さんは指摘する。「女性役割」を終えた時点で初めて自由な選択が可能になった、というときの「自由な選択」ってなんなのだろうか、と。「女性にもはげる権利が欲しい」という由利子さんの言葉が響く。

 言わずもがなのことかもしれないが、信子さんの選択と由利子さんの選択の間に優劣の差はない。「自分の望む生き方に合致する対処戦略を主体的に選び取る可能性を押し広げたい」、これがと吉村さんの結語だった。ジェンダー学(論)の枠組みを押し広げるにあたっての貴重な貢献に感謝したい。


 研究会終了後には恒例の懇親会。吉村さんの研究パートナーである矢吹康夫さん(中京大学教養教育研究院講師。アルビノの研究で知られる)も参加して、くつろいだ雰囲気の中で、当事者研究の意義と課題について議論を深めることができた。

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